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はる家の假名遣

京都 新村出博士舊宅

はる家の假名遣

誠にお恥ずかしいことに、新村出博士の舊宅が、徒歩5分の所にあると知らずに、何年も過ごしてきました。月曜日と金曜日のみ公開(要豫約)されてゐて、編集過程の『広辞苑』や、珠玉の論稿を拜見することができます。
新村出記念財團:https://s-chozan.main.jp

現在、新村出記念財團が大切に管理されてゐる舊宅は、新村博士の御尊父が、剣道を通じて親交のあつた木戸孝允卿の邸宅を譲り受け、後に移築されたもので、明治10年5月、危篤に陥つた木戸卿を 明治天皇がお見舞ひに訪れられた、その同じ敷地内にあつた建物だといふのですから驚きです。中京区竹屋町に「明治天皇行幸所木戸邸」の石碑と共に、當時の建物一棟が現存してゐます。

<<參照サイト>>
京都市歷史資料館 情報提供システム:https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na105.html

文化や芸術が、常に發展向上していくものと思つてゐる人があれば、それは大きな間違ひで、その時代を生きる私達の努力が足らなければ退廢しますし、國と共に滅びもします。そもそも私達が話してゐる言葉自體、勿論ですが私達が編み出したものではありませんし、國も作つたわけではありません。ギネスブック公認の世界最古の國・日本の場合は特に、2684年前(令和6年現在)の建國以來、氣の遠くなるやうな歳月の間、語り繼ぎ、言ひ繼がれてきた傳統や文化があり、たかだか数十年しか生きない現代人が、好きにしてよいと考へることほど、烏滸がましい話もないでせう。

國語にしても同じことで、『廣辭苑』が『広辞苑』になり、歷史的假名遣も採用されないと定まるや、新村博士は一晩泣き明かされ、『広辞苑』自序を、現代假名遣でも歷史的假名遣でも同じになるやうに書かれたのは有名なエピソードです。『広辞苑』初版から49年後の平成16年に「國語學會」は「日本語学会」と名を變へ、現在に至るも日本に國語學會は存在してゐません。言ふまでもなく、「日本語」とは、外國人の目線で見た日本の言語のことで、日本人が自國語を指して言ふ時は「國語」と言ひます(英語でも”National Language”で”American Language”などとは言ひません)。今はまだ、小中學校でも國語と言つてゐますが、教科名が「國語」ではなく「日本語」になる日も、さう遠くないかもしれません。現に「國史」は當たり前のやうに「日本史」になつて久しく、今や疑問に思ふ人の方が少ないでせう。

<<參照文獻>>
『新村出全集 第9巻』197頁「『広辞苑』自序」(筑摩書房 1972):https://dl.ndl.go.jp/pid/12407599/1/103

新村出博士舊宅の展示物のひとつに、「敬語の將來」の自筆原稿がありましたが、今や「國語の將來」が危ぶまれる時代になつてしまひました。なぜ歷史的假名遣でなければならないか、一言で言へば、「文字は表音記号ではないから」に盡きます。これは世界中どこでも同じことで、英語でも發音しない「k」が書かれたり(例:know)、フランス語でも「h」(例:homme)が語源を理由に殘されてゐるなど、挙げればきりがありません。「國語」の「語」は「語る」であり、これは「形(かた)る」、つまり「形(かたち)づくる」の意味で、「國語」とは「國を形づくるもの」に他なりません。

『広辞苑』自序にも紹介された新村博士ゆかりの『大日本國語辞典』(上田萬年、松井蕑治 大正4年)には、「幸ひ」は、全て假名で書くと「さいはひ」。さきはひ、の音便。「さきはふ」ことの意とあります。「さきはふ」は「よき運にてあり。榮ゆ」。『萬葉集』の有名な「神代より言ひ傳(つ)てけらく、そらみつ大和の國は、すめ神のいつくしき國、ことだまの佐吉播布(サキハフ)國と、語り繼ぎ言ひ繼がひけり」とある「さきはふ」です(巻5・894・山上憶良)。

「さいはひ」を、どう書くかといふことから、1,000年を優に超えて『萬葉集』まで遡れるのが、本來の假名遣である歷史的假名遣の素晴らしいところで、神話まで絶え間なく繋がる日本の傳統を身を持つて知り、祖先の偉業を繼承しようとする魂が自然と培はれていきます。「藤」は「ふじ」ではなく「ふぢ」ですが、さう思つて見直してみると、薫が違つてくるやうではありませんか。全てを昔通りに行なおうといふのではありませんが、値打ちをわかりもしない内から變へてしまふ(捨ててしまふ)のではなく、日本酒が熟成していくやうに變はつていく。その先にある眞に豐かな國語の發展を見たいと、私たちは願つてをります。

<<參照文獻>>
『現代日本随筆選 第7』110頁「敬語の將來」(筑摩書房 1953):https://dl.ndl.go.jp/pid/1666807/1/61
『大日本國語辞典 卷二 修訂』113頁(上田萬年, 松井簡治 共著 富山房 昭和15):https://dl.ndl.go.jp/pid/1870644/1/461

令和 辛丑(かのとうし) 三月吉日

関聯記事:[4月下旬-5月上旬]奈良 春日大社 砂ずりの

<<參考文獻>>
『新村出全集 第1巻 (言語研究篇 1)』(筑摩書房 1971):https://dl.ndl.go.jp/pid/12407575
『國語の尊厳 第1輯』(日本国語会 編 國民評論社 昭和18): https://dl.ndl.go.jp/pid/1126256/
『國語学叢録』(新村出 一条書房 昭和18):https://dl.ndl.go.jp/pid/1126264
『國語國字教育史料総覧』(國語教育研究會 1969):https://dl.ndl.go.jp/pid/12447271/
『岩波講座國語教育 第5巻』(國語教育の諸問題)(岩波書店 昭和11-12):https://dl.ndl.go.jp/pid/1143807/1/51

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