經營理念

 
■經營理念とは

經營理念とは、「この會社は何のために存在してゐるのか、この經營の目的は何か」といふことについての基本の考へ方です。企業の存在價値は何であるかを定義し、企業がその地域社會、國家社會へ具體的に何を貢献すべきか、すなわち企業のもつてゐる奉公的意義を明らかにするものです。

■[はる家]の經營理念

  1. 私達は、日本文化の心を汲み取り、感動を傳へ、國際社會の相互理解の促進と、その存續基盤である魅力ある地域社會の創造に寄與します。

私達は、自國の文化すなわち日本文化の素養を修めることにより、國際性を獲得し(National)、國際交流(International)が可能になり、さうなつて初めて、世界の相互理解の促進に貢獻できるやうになります。自國の文化を育む土壌は地域社會にあります。日本文化といふ大きな歴史の流れがあり、その流れは一つ一つの村や町といふ小さな地域に息づく多様性の集まりです。文化の意義を問ひ續け、豊かな素養を修め、地域社會の魅力を形づくり、國際社會で相互に理解と尊敬を示しあふことは、知的、精神的な信頼関係の上に、政治や経済の取り決めによらない眞の平和を築き、人類の共存と共榮を實現していくために、私達がなしうる最善の貢獻の一つであると、[はる家]は考へてゐます。

  1. 私達は、社會的使命を自覺し、職場において主體として生き、人間として絶えず成長していくことを目指します。

私達が[はる家]と呼ぶ組織として存在してゐるのは、基本理念を共有してゐるといふ一點にあります。そして共に協力して働くことの意味は、人々が集まれば、個人ではできないことができるやうになるからです。つまり、社會に一人ではできない貢獻ができるやうになるからです。その社會的使命を自覺して思ひ切り働ける職場が[はる家]です。 人間の様々な持ち味を、客體(當てにする存在)ではなく主體(當てにされる存在)として、同じ一つの社會的使命のために、個人的、集團的力量として発揮し、私達に潜むあらゆる可能性を現實化し、問題解決や目標實現にとつて最善のことは何であるかを見つけ出していきます。[はる家]にとって、利益は會社經營の正しい目的ではありません。人生の大半を占める職場で、基本理念といふ價値ある大義を實現するために、基準を高く一流の仕事に定め、何でも試し、大量の失敗から多くを學び、[はる家]は、私達の成長を唯一の原動力として前進します。
 
 

社是

 
■社是とは

企業風土を育み、健全な經營體質を確保する目的で規定されたものが社是です。企業經營についての精神的・物質的なあり方を、社會生活の全般にわたつて規定してゐます。換言すれば、企業の經營規定です。

■[はる家]の社是の特徴

[はる家]は比較的新しい企業ですが、老舗の家訓・商則を、[はる家]の社是を策定する際の手本としました。永續する企業の極めて少ない中、100年を超え、幾世紀にもわたつて老舗の暖簾をかかげ、公益に寄與し續けてゐる企業があります。それぞれの老舗の家訓・商則に古今に相通ずる經營の原則を學びました。
 

はる家 社是之事

 

  • 社員は社主に至るまで、社の名号(めいがう)、資産、自身の物と思ふべからず。人は一代、名は末代。社は公器なり。先(ま)づその身を正敷(ただしく)慎みて、己(おの)が身を修め、朋輩(ほうばい)[1]、睦間敷(むつまじく)勤むべき事を怠らず、社を善に導くべし。世の中の事は、人の道を知り、親和をもて人の道を明らかにするにあり。敬を本(ほん)とし、和を要(かなめ)とす。是(これ)を行ふに節をもてす。敬ひ過ぐれば堅苦し。和も過ぐれば猥(みだ)り[2]となる。是(これ)を程よくするを節と云ふ。朝夕は相互に一通り相應の挨拶をすべし。常に行儀正敷(ただしく)、相互に仁[3]を盡し善を進め、悪を止(とど)め、一向に正道(しやうだう)を守るべし。先代より社を預かりゐると存ぢ、名号(めいがう)を汚さぬやう、後繼者を育て、先格能(よ)く守り勤むべし。

  • 本業を専(もっぱ)らにし、懶(おこた)る事なく、一切の事、分限に過ぐべからず。社に分限あり、人に分量あり、己に度あり。分限度に過ぐれば、萬事天然に凶なり。舊来の人を大切とし、濫(みだ)りに信用不明なる方面に立入るべからず。ただし日々是新(ひびこれしん)なり。常に商法賣買進退に公案を盡すべし。貧して佞(おもね)らず、たとひ富者に至るとも益々(ますます)謙退[4]して人は我より賢き者と思ふべし。恭倹(きょうけん)[5]にして驕(おご)らざれば、自づから天の祐(たすけ)を得るものなり。小分の商内(あきなひ)たりとも心を添へ、来客に対し不都合の無きやう丁寧に取扱ひ、本業に専(もつぱ)ら勤むべし。

  • 賣りての仕合(しあ)はせ、買ひての幸ひこそ、交易の本意なり。無理に利を貪(むさぼ)れば、却つて財(たから)を失ひ禍(わざはひ)来(きた)る。たとひ強氣見込の取計らひにて利益多勝にありしとも、自利利他の道理を知らざる故(ゆゑ)に決して永續長久の見通しなし。目先の名聞(みやうもん)に迷はず、遠き行末を平均に見越し、永世の義を貫くべし。賣りて後に悔むやうならば先々に利益あり。財(たから)を賣る中に禄あり。賣りて悔む事、商人の極意と能々(よくよく)心得て、我も人も無事長久なる事を思惟して直(すぐ)に[6]定むべし。兎角(とかく)當り前の利益を好むべし。暴利を貪(むさぼ)る不正の商賣あるまじきなり。賣買とも先々の名利を心得て、自利利他の道理を深う分別し、専(もっぱ)ら得實(とくじつ)[7]をもて勤むべし。

[1] 同僚 [2] 筋道の立たないこと [3] いつくしみ。思ひやり [4] へりくだり退くこと。謙譲 [5] 人に対してはうやうやしく、自分の行なひは慎み深いこと [6] 正確にできるやうになること [7] 誠實

  • 社に細々費(さいさいひ)の禍(わざはひ)あり。一日に見えず、一月に覺えず、一年の終りに至り、三年の終りに平均して身代を次第に衰へさすものを細々費(さいさいひ)の禍(わざはひ)と名付く。知らずして奢侈(しゃし)[1]に慢(ほこり)、いつとはなく金銭を費すにあり。是(これ)、欲と云ふ火の元の故(ゆゑ)なり。この火盛んなる事、身も社も焼き、人をも炎に落とし入るなり。この猛火を避けんとならば、愚癡(ぐち)[2]蒙昧(もうまい)[3]の雲を払ひ、眞實の眼を開き、足る事を知るべし。水満(みつ)る時は溢(あふ)る。福満(みつ)る時は危(あやふ)し。九分は足らず、十分は零(こぼ)るると知るべし。さりながら、吝嗇(りんしょく)[4]と云ふにはあらず。定(さだま)りたる事を無理に減ずは悪(あ)しく、分限に過ぐる事をせぬやう第一の心得なり。入事を圖り出す事を補ふべし。苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし。

  • 神儒佛の三道、人の一生の無事ならん事を教へし物なれば、必ず疎(おろそ)かに思ふべからず。例へば、大黒天は福の神なり。橋板(けうばん)にて作るがよし。是(これ)は人の足の下に住む心にて、身を愼み、少しも高ぶらず、頭巾は上より押へる心なり。上瞼を厚く作るは下を見て上を見ぬ心。米二俵ならでは持たぬは足るを知るなり。にこにこと笑ふは人愛敬の心。分限よく知恵賢くとも、隠れ蓑、隠れ笠に包んで人に見せぬやうに愼み、僭上[5]の心なく、黒米飯を食して奢(しゃ)[6]を嗜む[7]なり。打出の小槌は油斷なく手を働かせ、弄(かせ)ぎ出だし、袋は持ちたる物片時も放さぬ用心と思ひて信ずべし。さりながら、三道は一方缺けても身を修むるに悪(あ)しかるべし。心を磨き、身を修め、社を整える道の肝要なれば、その品々を嗜む[8]べし。

  • 心の美を好きて、物の美を好く事なかれ。衣類、諸器、美なれば、美は人の目を潤す故(ゆゑ)、褒むる人もあり。さりながら、分限に過ぐる時は笑ふ人多し。珍敷(めずらしき)品物、道具、美品類は無用なり。男女共、着類に當世風流行(たうせいふうりうかう)[9]は無用なり。倹は美徳なり。さりながら大倹なる時は吝嗇(りんしょく)[10]に近し。成丈(なるたけ)倹約、粋(すい)[11]にても十分こうと向き[12]を着用すべし。仕立て悪ければ見所なけれども、至りたる風體(ふうてい)[13] をする事あるまじきなり。この程を心底に能々(よくよく)思ひ分くべし。

[1] 必要程度や分限を超えた暮らしをすること [2] 愚痴。理性の區別のつかないおろかさ [3] 知識が開けず、物事の道理に昧(くら)いこと [4] 過度にものをしみすること。けち [5] 分を超えたおごり。ぜいたく [6] 奢侈に同じ。おごり。ぜいたく [7] つつしむ。遠慮する。我慢する [8] 好んである事に心をうちこむ。精出して行なふ [9] 今の世の流行りの風俗・風習 [10] 脚注5に同じ [11] 気持ちや身なりのさつぱりと垢抜けしてゐること [12] 色柄の控へめなこと [13] 立ち居ふるまい。日常の生活。

  • 朝六つ時より起きるべし。人と生れては人の道を知り、己(おの)が身の養生あるべし。およそ人に生来、困窮飢渇の相なし。朝寝貧乏の相たり。他社に先んじて社を開くは、社の勉強を表し、人の信用を得る一手段なり。社前の掃除能(よ)く行届き、往来に便利なれば、行く人は必ずその社の前を歩むべし。行く人は注意せざる事あるも、近隣の人は常に社の様子を窺(うかが)ひ、その心術起居[1]を測量しゐるものと知るべし。商業上の約定は口頭を避け證書をもてなすべし。この方、帳面と引き合はすべし。買先賣先とも餘り懇意になるは、自然、取引軽々敷(かるがるしく)なり正敷(ただしき)引き合はせ不行届きに向かふなり。総而(そうじて)取引には禮儀正敷(ただしく)、誠直にして油断なく向かふべし。毎朝早く社を開き、人の来訪に差支(さしつかへ)なきやうにすべし。

  • 右、社是の条々くだんの如し。この外、細かなる事、紙筆に載せ難し。さりながら、およそ、この条々を能々(よくよく)極めたらん人は、自づから、細かなる事をも心得べし。この条々を注(しる)す所、全く、自力より出(い)づる才覺ならず。およそ、老舗(しにせ)の物語り給ひし事どもを、目に触れ、耳に聞き置きしまま、社を守り、道を重んずるによりて、心底に挿(さしはさ)みて、大概(たいがい)を録(ろく)する所なり。恐惶謹言。

乙酉(きのととり) 如月(きさらぎ)十五日

[1] 立ち居ふるまい。日常の生活。

 

代表挨拶

 
[はる家]は令和2年で15年目を迎へました。會社法人が設立されてから10年後に殘つている確率(會社生存率)は6.3%(國税廳調査)と言はれてゐます。100社が起業すれば、10年後には6社になつてゐる計算です。確かに、この10年間を見ても、經營環境は劇的に変わつてをり、變化のスピードは年々増してゐます。

20年後の會社生存率は0.4%。100社では殆ど倒産してをり、1,000社あつて、はじめて4社殘るといふ、極めて厳しい現實を直視し、本當の實力が問はれる10年が、[はる家]の只今の10年です。
そもそも私たちが掲げる經營理念の實現は、10年や20年でお終ひといふわけではない、100年、1,000年の事業と考へてゐます。30年以内に99.98%が消滅しますので、30年〜100年後の企業生存率は0.02%以下です。10,000社に2社もない、その1社を目指して、今日なにができるか。15年目の會社には分不相應なやうですが、遠き行く末を平均に見越し、厚顔ながら有難いお叱りやご意見を頂戴しながら、大道を誤り信義を失ふことのないやう、世界の進運に遅れることのないやう力を盡くしてまゐります。

株式會社はる家
社主 小林 祐樹
 

 

社風

 

社内研究會

[はる家]の經營理念を形にするための、望ましい商品知識、技術技能、意欲を高めるために、定期的に繼續して學べる、明るく楽しい機會を社内に自前に設けてゐます。勤續年数の如何に寄らず、世話役、社員の區別なく、入社後数ヶ月の試用期間中の社員も含め參加できます。

 

神社清掃奉仕

日本の傳統文化が受け繼がれた姿とは、具體的に、どのやうな姿ですかと問はれれば、それは各家庭で神棚が祀られるやうになつた光景であらうと[はる家]は考へてゐます。氏神神社や崇敬神社などで、神社清掃奉仕に奉賛し、貴重な學びの機會を頂いてゐます。

神社清掃奉仕 これまでの活動報告

 

お米づくり

毎朝お召し上がり頂いてゐる「はる家の朝粥」のお米づくりを、[はる家]の田圃で、種もみから無農薬栽培してゐます。日本人の主食「お米」にまつわる、神話に遡る傳統の数々。伊勢神宮に奉納されてゐる二見ヶ浦の自然塩とともに、毎朝お届けしてゐます。

「はる家の朝粥」ができるまで 記事一覧

 

オンライン讀書會

社會貢献の基軸となる經營理念を、より高い次元で實現できるやう、學術研究的姿勢で取り組んでゐます。毎月最終週は讀書會後に短い懇談會を予定してゐます。

 

世話役

[はる家]では、正社員のことを「世話役」といつてゐます。上司は上から部下に命令するものと思はれがちですが、さうではなく、下から支える、お世話させて頂くといふ心掛けを大切にしてゐます。人様をお世話することが、高い次元でできるやう、共に學んでゐます。

 

社員

[はる家]では「正社員」という言葉は使はれてゐません。「正社員登用」のように、世間一般にわかる用語で述べないと傳はらない場合を除き「世話役」と言つてゐます。パートタイマーも「パート」とは言ひません。同じ一つの經營理念といふ目的のために共に働く「社員」と言つてゐます。社内研究會や教育配転などの學びの機會も、世話役、社員の区分なく、廣く世の中のお役に立つていきたいと願ふ、全ての社員に開かれてゐます。

 

三箇月面談

[はる家]では、働くことを通じて社會観を養い、會社での學びの場を通じた中長期的な人格形成を圖ることを目指してゐます。赤の他人様の為に、その求められる以前に、その求められるでらうことを、その求められる以上の水準で行なへるやうでありたいと願つてゐます。經營理念の實現といふ個人ではできない社會貢献の為に、繼續的な學びの場を確保し、世間のアテに應へるために、三箇月に一度、人事考課面談を行なつてゐます。
 
はる家 採用情報