はる家の假名遣ひ
[はる家]のサイトや発行物では、「本假名遣ひ(歷史的假名遣ひ)」と「本字」が用ゐられてゐますが、よく間違つてしまひます。始めのうちは随分と氣にしてゐましたが、使はないより使ふ方がよいに決まつてゐます。まず使ふこと。さう思ふと、どんどん厚かましくなつて、近頃は全く氣にならなくなりました。一緒に間違ひ探しを楽しむつもりで、盡きせぬ國語の魅力をお楽しみ頂けましたら幸ひです
心好い歌聲の響きに眠りを誘はれながら夢路に入り、覚めては常に國語を聞き、國語を語り、國語の中に生活し、生まれしより此の方、常に國語を使用し、國語に教へられながら大きくなりました。國語によつて日本人としての魂は培はれ磨かれてきました。私たちの國語には、祖先以来の精神が溶け込んでをり、國語を通じて縦に祖先の魂に連なり、横に今日の我々を國民として結び附けてゐます。
「幸ひ」は、全て假名で書くと「さいはひ」。さきはひ、の音便。「さきはふ」こと、の意。「さきはふ」は、「よき運にてあり。榮ゆ。」(大正4年『大日本國語辞典』上田萬年、松井蕑治)。『萬葉集』の有名な「神代よりいひ傳てけらく、そらみつ大和の國は、すめ神のいつくしき國、ことだまの佐吉播布(サキハフ)國と、語りつぎいひつがひけり」とある「さきはふ」です(巻5・894・山上憶良)。
「さいはひ」を、どう書くかといふことから、1,000年を優に超えて『萬葉集』まで遡れるのが、本來の假名遣ひである本假名遣ひ(正假名遣ひ・歴史的假名遣ひ)の素晴らしいところで、神話まで絶え間なく繋がる日本の傳統を身を持つて知り、祖先の偉業を繼承しやうとする魂が培はれていきます。「藤」は「ふじ」ではなく「ふぢ」ですが、さう思つて見直してみると、薫りが違つてくるやうではありませんか。
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単に字が書ける、喋れるといふだけなら、極端に言へば、全部ローマ字で書いても事足ります。「國」を失ひ、命さへあれば、あとは何でも構はない。出来事をただ列挙したものを「歴史」と呼び、意思をただ傳達する手段を「言語」と呼んで違和感を覚えないのであれば、それは奴隷と同じ感覚ではないでせうか。神武建國以来、私たちの國が何を追ひ求めてきたのか、その軌跡が「國史」であり、脈々と今日に受け繼がれてゐる日本人の精神的血液が「國語」でありませう。
東南アジア諸國の植民地支配を300年以上續けてゐた欧米列強は、敗戦後の日本を二度と立ち直らせないやうに、幾つもの占領政策を行なひました。「日本国憲法」や「東京裁判」「皇籍離脱」と呼ばれてゐるものと同様、國語の假名遣ひを壊すことも、その一つとして、終戦から僅か6ヶ月後の3月に、日本語をローマ字表記にする第一次教育使節團報告書(文部科学省 公式サイト)が提出されてゐます。續く11月には、日本人が成立させた體裁をとつて「当用漢字」と「現代仮名遣い」が制定されました(文化庁:昭和21年内閣告示第33号)。傳統への手掛かりを奪はれた戦後は世代間の断絶を深め、占領から58年後の平成16年に「國語學會」は「日本語学会(日本語学会 公式サイト)」と自ら名稱を變へてしまひました。
「國語」の「語」は「語る」であり、これは「形る」、つまり「形づくる」の意味で、「國語」とは「國を形づくるもの」に他なりません。日本の表現は、寡黙の中に言葉があり、なるべく表はすものを少くして含むものを多くするといふ特質があります。澄んだ目、ひきしまつた口、のびた指、揃へられた足、きちんとした體。國語は固定したものではなく、これを使用する國民の心掛けによつて、良くもなり悪くもなります。全てを昔通りに行なおうといふのではありませんが、わかりもしない内から變へるのではなく、よくわかつた上で變はつていく。その先にある眞に豊かな國語の発展を見たいと願つてゐます。
令和 辛丑 三月吉日