[春季皇靈祭の日]京都 御靈神社 參拝

 

[春季皇靈祭の日]

京都 御靈神社 參拝

 

春季皇靈祭の日に、氏神社に當る京都の御靈神社(上御霊神社)に參拝させて頂きました。

一般に、春と秋の「お彼岸」と言ふと、佛教行事と思はれがちですが、死後も魂は留まつて子孫と家の守り神になるといふ発想は、死んだら成佛して極楽に至ることを目指す佛教には元々はありません。神道では、人が亡くなることを「帰幽」といひ、「元きた場所に帰り、家の守り神になる」と考へられてゐます。世間一般に、お爺さんお婆さん、ひいお爺さんお婆さんくらゐまでは、顔もわかれば、どんな人だつたか話を聞いたこともありませうが、それが6代前、10代前と遡つていくに連れ、段々と實像はわからなくなり、10代前くらゐになれば、もう名前程度しか定かでなくなり、個性がなくなつてきます。傳統的な神道では、これを悪いこととは考へてをらず、無理もないことですから、家の守り神としての格が、段々と上がつていくと捉へられてゐます。125代前の初代・神武天皇まで、歷代の全ての天皇と皇族方を、今上陛下が自らお祀りされる日に、國民も同じ思ひで各家のご先祖をお祀りする日が、春季と秋季の皇霊祭の日で、天皇と國民が共にお祝ひする「祝祭日」でした。

かうした天皇と國民の絆を弱めるために、敗戦後に占領軍は、祝祭日(休日)について規定した勅令「休日ニ関スル件」を廃止し、占領中の昭和23年(西暦1948年)に「國民の祝日に関する法律」を作り、「春季皇霊祭」を「春分の日」と名前を變更させました。特に2月11日の「紀元節」は、名前を變へて残すことすら許さず、完全に廃止され、「建国記念「の」日」といふ歪な形ながら、やうやく復活するのは昭和41年になつてのことです。

戦争に負け占領されるといふことは、かやうに自國の誇りや尊厳を傷つけられ、それが何十年何百年も、何世代にも渡つて纉くことを、私達は現在進行形で見てゐます。例へばフィリピンのやうに、350年以上も植民地にされ、独立を果たして70年以上経つ今でも、時の侵略者スペイン王フェリペ2世の名前が國名「フィリピン」になつてゐて、スペイン後の支配者アメリカの英語が公用語で、本来のタガログ語等の國語の復活に四苦八苦されてゐる國もあるくらゐです。日本の場合、大東亜戦争の英霊のお蔭様で、萬世一系の天皇は斷たれず、ギネスブック公認の世界最古の國として現存してゐることを思へば、自然と頭が下がつてくるやうではありませんか。

最近、ロシアがウクライナに侵略戦争を始めましたが、ロシアや中共のやうな共産主義國は先祖崇拝を認めません。國民の財産は全て政府のものですから、世代を繼いで発展させていく發想を許さないのです。日本でも、例へば平安時代の「荘園」を諸悪の根源のやうに描く歴史漫画がありますが、的外れもよいところで、一代で絶える家、一代で倒産する企業、一代で滅びる國ばかりであれば、どれほどの厄災が世間に降りかかることでせう。文明の進化も、文化の向上も望むべくもありません。後進を育成し何世代にも渡つて繼いでいく未来にこそ眞に豊かな社會はあることを、ロシアの侵略行為はまたも証明した格好になつてゐます。

平成から令和に元号が代はつたのは、時の天皇(現在の上皇陛下)が御高齢のため、通常通りの祭祀を行なふことが難しくなつてこられ、それにより祭祀が簡略化されるのを避けたいと思はれたからで、明治以降は崩御をもつて御代替わりが行なはれてきたのを、御存命中に御譲位なさいました。春季皇霊祭に限らず、かやうに大切にされてゐる祝祭日には、いつときの風潮に流されず、100年1,000年の尺度で物事を見定めて、氏神社や崇敬社などで參列や參拝をして、単なる休日化させてしまはないやうに致しませう。家でも國旗を掲揚し、神棚や御霊舎(または佛壇)で祖先をお祀り致しませう。親が2人、祖父母が2人、曽祖父母が2人と辿つていくと、10代で1,000人以上の命が私達1人に受け継がれてゐることはよく知られてゐます。「今」「自分」だけでなく「先祖と子孫」「世のため人のため」に盡くしてバトンを渡していきたいものです。

『日本書紀』から續く、日本國の政府の正式な歷史書(正史)の一つである『日本後記』には、御靈神社の御祭神の一柱・早良親王(追号:崇道天皇)の怨霊を鎭めるため、諸國の國分寺僧に、春と秋の2回、7日間に渡つて金剛般若経を讀ませたといふ記載があり、これが今日まで續く、春と秋の「お彼岸」の始まりとする説もあります。令和4年現在、御靈神社では、春季皇靈祭遥拝式こそ行はれてゐませんが、京都では、山城國一ノ宮の賀茂別雷神社(上賀茂神社)で皇霊祭遥拝式に參列させて頂くこともできます。普段から神社祭祀を續けてくださつてゐる神職方に感謝申し上げます。

參考文獻:辻善之助『皇室と日本精神』昭和19年(敗戦後、占領軍により焚書された一冊)

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