[2月28日]古事記編纂奉祝「古事記獻上祭」

古事記編纂奉祝
古事記獻上祭
開催概要
| 開催日時 | 毎年2月28日 |
| 定員 | 先着40名様 |
| 申込期限 | 2月25日(定員に達し次第締切) |
| 料金 | 5,000圓 (2囘目以降のご參列3,000圓) ※小學生以下無料 ※料金に含まれるもの: (1)玉串料 (2)史蹟探訪送迎 (3)記念講演 (4)記念講演後の晝食 ※料金に含まれないもの: (1)宿泊料金 (2)宿泊施設までの交通費 (3)夕朝食 (4)銭湯入浴 |
| クラウドファンディングで『古事記』を應援! | 當日のご參列はもちろん、御豫定がおありになつたり、遠方で來られない方には、クラウドファンディングでのご參加をお待ちしてをります。 先人達が守り傳へてこられた我が國の原點を後世に語り傳へていくために、ご支援をお願ひ致します‼️ ▼クラウドファンディングで『古事記』を応援‼︎▼ https://camp-fire.jp/projects/818611 |
行事豫定

奈良縣護國神社
記念講演 本居宣長記念館 吉田悦之名誉館長
直會(晝食)

賣太神社(めたじんじや)正式參拜
御祭神:稗田阿禮命

古事記獻上祭
多坐彌志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ、通称:多神社)
御祭神:太安萬侶命

天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵 參拜
16:20 橿原神宮前駅 解散 または
17:30 《はる家 ならまち》 解散
天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵 參拜
我が國に現存する最古の歷史書『古事記』の編纂は、諸氏族に傳来する「帝記」(皇室の系譜や傳承)や「舊辞」(神話や説話、歌謡等)に誤りが多いことを憂慮された第40代 天武天皇(在位673―686)が、稗田阿禮公に正しい記録を誦習させたことに始まります。 天武天皇の崩御により事業は中断しますが、第43代 元明天皇の勅命で、稗田阿禮公が誦習した内容を、太安萬侶公が筆録。和銅5年(712)に國家の公式文書として獻上しました。
和銅5年(712)『古事記』を完成させた 元明天皇には、先立つ和銅3年(710)に平城京に遷都された御事蹟もあります。 敗戰後は平城宮跡ばかりを殊更取り上げてゐるのは、奈良の本來果たすべき「建國」からの目眩しに使はれてゐる嫌ひがありますが、元明天皇は「第43代」。奈良縣には、初代 神武天皇からの宮跡が17、御陵は31もあり、實際に巡拜することができます。高千穂の「天孫降臨」、淡路島の「國生み」等と同樣、奈良には「建國」といふ、奈良にしか果たし得ない、傳へるべきテーマがあります。
敗戰後に占領軍は、11あつた宮家を4つに減らし、ひとつの家族のやうな國づくりをしようといふ「君臣一體」の国體から、天皇と國民を遠ざけ、天皇や建國について語ることを右翼とか史實でないと言はれる時期が長く續きました。近年、インターネットの普及により一次史料に触れることが容易になつたことから、若い世代の間で見直しが進んでゐます。奈良が「建國」を取り戻すことは、建國神話『古事記』を完成させた 天武天皇や 元明天皇の御事蹟に報いることでもあらうと思ひます。
第43代 元明天皇から第44代 元正天皇への皇位繼承は、女性天皇から女性天皇への唯一の例です。しかし決して「女系」ではありません。あたかも存在してゐた(し得る)やうに語られる「女系」の天皇は、歷史上存在したことはなく、明治22年2月11日(紀元節)公布の大日本帝國憲法の第1条「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、戦後公布の皇室典範も第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と明記されてゐるやうに、今後も存在し得ません。カギ括弧つきの「女系天皇」なるものは天皇ではなく、ギネスブック公認の現存する世界最古の國・日本の、2,000年以上續く皇統が途絶えてしまひます。女性の皇位繼承はあくまで中繼ぎであることを女性差別云々といふ人がありますが、2,000年以上續く皇位繼承のルールを決定づけた『古事記』と『日本書紀』が、他ならぬ女性天皇お二人によつて完成されてゐることは心に留めておいてよいことと思ひます(『日本書紀』は元正天皇の養老4年(720)に成立)。
奇しくも古事記獻上祭を復興した令和4年は、 元明天皇崩御から1,300年の式年でもあり、御命日に當る1月2日に式年祭が宮中と、元明天皇陵でも皇室の勅使參向のもと斎行されました。1,300年経つた今も先祖の御恩を忘れずお祀りをなさる皇室への敬意と、今日に至るまで2,000年以上續く國家の、建國と存續に貢献された全ての先達への感謝を胸に、 元明天皇の奈保山東陵に參拜。ご參列の皆様には、 天武天皇と 元明天皇の御陵印を、參拜記念にお贈りさせて頂いてをります。
參考資料:元明天皇の御事蹟 - 京都産業大学久禮旦雄准教授(神社新報 令和4年1月1日)
▼寫眞は、令和6年 天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵 早朝參拜の様子です。















古事記獻上祭
我が國の建國神話『古事記』が國家として正式に編まれた記念日に、編纂者・太安萬侶公を祀る奈良の多坐彌志理都比古神社(多神社)にて顕彰祭を斎行いたします。祭典後には資料館を特別拜観(通常非公開)。普段は見ることが叶はない、國寶・安萬侶墓誌の實物大復元など貴重な史料を拜見します。
去る平成24年(2012)『古事記』編纂1,300年の節目には、先賢の事蹟を讃える新しい顕彰祭「古事記獻上祭」が、多坐彌志理都比古神社の摂社で太安萬侶命を祀る小杜神社(こもりじんじゃ)で斎行され、當時、多くの新聞で取り上げられました。しかし殘念なことに、その後は行なはれることなく10年の歳月を経てゐました。
ちやうど1,310年の節目に當る令和4年(2022)に、古事記編纂1,310年奉祝事業として「古事記獻上祭」を10年ぶりに復興し、編纂者の太安萬侶公を祀る奈良「多坐彌志理都比古神社(通称:多神社)」にて顕彰祭を斎行、その後、毎年同日に續けられてゐるのが「古事記獻上祭」です。
我が國の建國神話として、1,300年以上、私たちと共にあり續けてきた『古事記』の編纂事業は、神話をまとめた他に、もう一つ、歷史的な重要な契機となつてゐます。それは、國語が初めて文字として現されたことです。それまでは、言葉としての日本語はありましたが、文字で表現する上では漢文が用ゐられてゐました。
日本固有の神話を、漢文で表現すると、細かいニュアンスが傳はりませんし、全部、話言葉だけで表現すると、いたずらに文章が長くなつてしまひます。そこで太安萬侶公は、ある部分では漢字の意味を脇に置いて音だけを採用し、ある部分では漢字の意味を殘して表現する、つまり「表音文字」と「表意文字」を、一文の中で混ぜて用ゐるといふ、現代まで續く國語の表記手法を初めて編み出しました。
この表記手法が、後に「カタカナ」「ひらがな」を生み、「ローマ字」までを取り入れて、今日まで續いてゐます。現代の私たちは當り前のやうに使つてゐますが、支那大陸では未だに漢字(表意文字)のみですし、英語はアルファベット(表音文字)のみが用ゐられてゐます。世界でも類例のない國語表記が生み出されたのは、ひとへに『古事記』編纂によるところが大きいのです。
同じ時期に編纂された、日本の歷史を海外向けに語ることに重きが置かれた『日本書紀』は、堂々たる漢文で書かれてゐます。もし『古事記』編纂がなければ、現在も私たちは、話し言葉は日本語でも、表記は漢文といふ、歪な文化であつたかもしれません。さうであれば、世界最古の長編小説『源氏物語』は生まれてゐませんし、當然、和歌も俳句もありません。
『古事記』編纂を顕彰する「古事記獻上祭」は、神話の記念日であると共に、國語を大切にしようといふ、國語の記念日でもあります。「言靈の幸ふ國」と讃えられた我が國の國語の復興に、私どもも出来るだけのことをして、未来の世代にバトンを繋ぎたいと思ひます。
参考資料:秋田喜三郎著『小学国語読本指導書』「第十二 古事記の話」尋常科用 巻11, 明治図書, 昭11至13. 国立国会図書館デジタルコレクション
























賣太神社 正式參拜
稗田阿禮公が暗誦した物語を筆記して、國家の公式な文書として完成させた『古事記』。『古事記』編纂ゆかりの地を貸切バスで巡る史蹟探訪では、稗田阿禮公を御祭神として祀る賣太神社(めたじんじゃ)を正式參拜します。藤本保文賣太神社宮司の特別のお計らひにより、社務所保管の平沼騏一郎扁額「祭政一致」を拜見させて頂きます。
『古事記』序に「姓は稗田、名は阿禮。年これ二十八。ひととなり聡明にして目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に拂へば心に勒(しる)す。卽ち阿禮を勅語して帝皇の日繼(ひつぎ)及び先代の舊辭を誦み習はしむ」とある以外に、稗田阿禮公に關する史蹟は、賣太神社をおいて他にありません。 そこから、稗田阿禮は實在しないとか、男ではなく女ではないかなどと言はれることもありますが、何かにつけて疑つてかかるのは現代人の悪い癖で、1,000年を超える長い間、何千何万といふ御先祖様が、良いものを残し、悪しきを捨てて、代々を繼いで未来に託されたものに、まずは尊崇の念を持てるやうでありたいものです。 第35代内閣総理大臣・平沼騏一郎は、昭和17年(1942)、古事記撰上1,230年を契機に結成された「古事記纂録功臣顕彰會」の総裁を務められ、社務所の扁額も、その時に揮毫されてゐます。鳥居前の社号標にも裏に「古事記撰上一千二百三十年記念 古事記纂録功臣顕彰會」と刻まれてゐます。 昭和17年といへば大東亜戦争の真つ最中ですが、當時の䑓湾・朝鮮・関東州を含む全國各地から延べ5,000人に及ぶ勤勞奉仕と浄財が寄せられ、敗戦間際の昭和19年(1944)まで境内整備が續けられてゐます。竣工式で奉納された「稗田の舞」は、賣太神社の例祭「阿禮祭」(毎年8月16日)で今も見ることができます。困難な時代こそ原點回歸。さうして託された80年後の令和4年、古事記編纂1,310年を奉祝して復興した「古事記獻上祭」を契機に賣太神社を參拜させて頂く私たちも感慨はひとしおです。








本居宣長記念館名誉館長 記念講演
本居宣長記念館(https://www.norinagakinenkan.com)から吉田悦之名誉館長をお招きして記念講演が開催されます。講演後には最新刊『宣長にまねぶ』サイン會が行はれます。(致知出版オンラインショップ『宣長にまねぶ』:https://online.chichi.co.jp/item/1139.html)
江戸時代に既に古すぎて、何と讀むのかわからなくなつてしまつてゐた『古事記』をよみがへらせたのが本居宣長先生です。繼體(けいたい)天皇の皇位繼承、乙巳(いつし)の變、和氣清麻侶公の神託、織田信長公の朝儀復興。挙げればきりがないほどに、日本は國難に際し『古事記』の精神のもとに苦境を乗り越えてゐます。
もし『古事記』がよみがへつてゐなければ、あるいは50年遅ければ、明治維新は起こつてをらず、東南アジア諸國と同じやうに日本も西洋列強の植民地にされてゐた可能性が高いのではないでせうか。それほど『古事記』があるのとないのとでは、世界はまるで違つてきます。『古事記』がなければ、日本は世界最古の國として現存してゐませんし、『古事記』を失へば國が滅びてしまふと言つても過言ではないでせう。今また再び忘れられつつあるとすれば、『古事記』を現代に取り戻すことには、混迷を極める世相に道を開く力があるのではないでせうか。
記念講演の會場には、奈良縣護國神社の參集殿をお借りします。遠くに日本最古の寶典『古事記』があり、近くに最も新しい神社としての護國神社(と靖國神社)があります。この二点を結ぶ道は、一度も絶えることなく現在の私たちまで續いてゐて、歷代天皇も、和氣清麻侶公も、織田信長公も、本居宣長先生も、明治維新から大東亜戦争までの英靈も、同じ道を歩まれてゐます。私たちが拓いていく未来も、この道から少しも外れず、次の世代へバトンを渡していきたいものです。
靖國神社や護國神社といふと、何か特殊な神社のやうに思はれてゐる人がありますが、英靈祭祀が特別なのは、たとへば御靈神社が吉野皇后(井上内親王)や崇道天皇(早良親王)をお祀りするのと同じ意味で特別なのであり、三輪山といふ山そのものを祀る大神神社や、布都御魂といふ神剣をお祀りする石上神宮などとも變はらず、月次祭を始め、2千年來の傳統に則つた数々の祭典が年間を通じて斎行されてゐます。『古事記』を大切に思ふ同樣の尊崇の念から、護國神社の月次祭に參列させて頂いてをります。常日頃より祭祀を斎行してくださる奈良縣護國神社の宮田康弘宮司(令和4年當時)はじめ職員方に改めて感謝申し上げます。
[毎月1日15日]奈良 奈良縣護國神社 月次祭










太安萬侶公御墓所 參拜
稗田阿禮公が暗誦した物語を、太安萬侶公が書き記したことが『古事記』の序文に記されてゐます。ただ、序文にはあるものの、太安萬侶公の實在は最近まで定かではありませんでした。そこから『古事記』は偽書ではないかとまで言はれてゐたところ、昭和56年(1981)、奈良の茶畑から太安萬侶公の墓が見つかり、大ニュースになりました。
一千年を優に超えてお墓が發見。出土した墓誌(埋葬者の略歴等を記したもの)が國の重要文化財に、御墓所が史跡に指定される。そんな奇跡のやうな大ニュースが昭和54年(1979)に起こつたわけですが、奇跡はもう一つあつて、それは、發見されるまで日本といふ國が續いてゐたことです。 ご周知の通り、日本は現存する世界最古の國としてギネスブックに登録されてゐます。一般に、國といへば、せいぜい二、三百年程度。一千年を超えて存續してゐる國は、日本の他にはデンマーク(西暦900年成立)だけです。英國はあと50年弱で一千年(西暦1,066年成立)。それが日本の場合、令和4年現在「紀元2,682年」を迎へてゐるのですから群を抜いてゐます。「神武建國は根拠が不充分」とか「神武天皇は實在が定かではない」などとクサす人が常にありますが、日本人が自分で勝手に言つてゐるのではなく、海外からギネスブッックで公認してくれてゐるのですから、日本人はもつと自信を持つてよいことで、國家が正式な歷史書として編纂した『古事記』『日本書紀』の重みを、今一度、噛み締めてみるべきでありませう。 建國から今日まで2,000年以上の歳月も、決して平穏無事に過ぎたわけではありません。古くは、神功皇后の新羅征伐や、白村江の敗北。おそらく最大の危機は、織田信長公が天下布武(戈を止めさせる)のもと、朝儀復興をなされてゐなければ、外國からの侵略に負けて植民地にされてゐたことでせう。實際に、たとへばフィリピンは、本能寺の變の11年前(西暦1,571年)にスペインの侵略を受け、以降375年間に亘り植民地にされてゐます。独立を果たすのは、やうやく大東亜戦争を待つてのことです。支配者スペイン王フェリペ2世の名前が未だ國名に、スペイン後の支配者アメリカの英語が公用語で、タガログ語等の國語復興に目下努めてをられます。日本も大東亜戦争では敗北を喫し、今日に至るまで多くの課題を殘してはをりますが、英靈の御加護により建國以来の國體を護持し得てゐることに感謝の念に堪えません。 太安萬侶公の御遺骨まで發見され、それまで「實在は定かでない」とか「『古事記』自體も偽書ではないか」とまで言つてゐた人は霧散したわけですが、もし日本といふ國がなくなつてゐれば、この世紀の大發見も侵略者には何の価値もなかつたに違ひありません。今日も中共は尖閣諸島への領海侵犯を續け、露國は北方領土を不法占拠したまま、韓國は竹島に居座つてゐます。北朝鮮に拉致された同胞は歸つてこられてゐません。我が國の領土・領海・領空、國民の命と財産を守る為に、一命を賭して戦つてくださつた先人の御事績に恥じないやう、各々の職分を精一杯果たす先に、いずれ古事記編纂1,400年奉祝の年を迎へるならば、その頃には、稗田阿禮公の史跡も何か見つかつてゐるかもしれません。 奈良縣公式サイト:『古事記』を編纂した天才文官、太安萬侶の墓へ 奈良縣公式サイト:「やすまろさんや!」太安萬侶墓、発見のエピソード






注意事項
お申し込みの前に必ずお読みください
- 雨天決行です。※荒天の場合は中止となる場合がございます。
- ご宿泊を伴う場合、參加費のほかに、ご宿泊料金を宿泊施設へお支払ひいただきます。
- ご參加いただける組数には限りがございます。より多くのお客様が確実に參加いただけるよう、參加未確定状態でのご應募や無断での參加キャンセルはお控へくださいますやうお願ひ申し上げます。
- やむを得ずキャンセルされる場合、キャンセルの連絡時期によつてキャンセル料が発生いたします。お申し込み前に下記キャンセルポリシーに関する注意事項を必ずご確認くださいますやうお願ひ申し上げます。
お申し込み方法
おかげさまで満席になりましたので、こちらの催し事は受付を終了いたしました。
1.「予約者情報」にお名前ほか必要事項を入力
2.「オプション追加」から「古事記獻上祭」をご手配ください。
宿泊を伴はない「催し事のみ」のお申し込みも承つてをります。
交通案内
はる家 ならまち
いざ、日本の傳統へ – Touch NIPPON –
ギネスブック登録の世界最古の國・日本。建國の都・奈良と、千年の都・京都に佇む宿泊施設《はる家》では、築百有餘年の町家に受け繼がれた日本の傳統文化をお届けしたいと願つてゐます。では、日本の傳統文化が受け繼がれた姿とは、具體的に、どのやうな姿ですかと問はれれば、それは各家庭に神棚が祀られるやうになつた姿であらうと《はる家》は考へてゐます。奉賛する祭典、神社清掃奉仕、お米づくりや史蹟探訪など、四季折々の様々な機會を通じて、日本の傳統文化に親しんで頂けましたら幸ひです。
奈良の春日大社の參道(三条通)で創業した《はる家》は、春日大社と地域の氏神様をはじめ、大和國一之宮の大神神社、山城國一之宮の上賀茂神社と下鴨神社ほか、官幣大社(橿原神宮、石上神宮、白峯神宮など)や別格官幣社(談山神社、護王神社、建勲神社など)、別表神社(奈良縣護國神社など)で崇敬會等に奉賛してゐます。祭典に參列するほか貴重な學びの機會も頂いてゐますが、《はる家》が公式サイト等で発表する内容は《はる家》が独自に責任を負ふものであり、神社關係團體とは一切關係ありません。



はる家一覧
ギネスブック公認の世界最古の國、日本。
建國の地・奈良と、千年の都・京都に佇む、趣きの異なる築百有餘年の町家。

はる家 東山
築百有餘年の京町家、職住一體の「表屋造り」を傳へる[はる家 東山]。京都驛から地下鐡十五分、年間千二百萬人以上が訪れる京都東山に位置し、清水寺、祇園、南禅寺ほかへ徒歩圏内。朝晩は白川の小川沿ひを歩く清々しい散策をお楽しみ頂けます。
所在地:〒605-0026 京都市東山区古川町542番地4
[はる家 東山]のサイトを見る

はる家 梅小路
築百有餘年の京町家四棟が隣り合ふ[はる家 梅小路]。京都驛から程近く清水寺、祇園、金閣寺ほかにバス一本。町家ならではの「通り庭」があり、坪庭、出格子、圓窓、縁側など傳統的な京都の佇まひを傳へます。
所在地:〒600-8834 京都市下京区和気町1番地12
[はる家 梅小路]のサイトを見る

はる家 ならまち
國登録有形文化財(母屋、藏、門屏)。日本庭園、家族風呂、縁側つき客室など傳統的な日本家屋の佇まひを傳へます。歴史的な町並み「ならまち」に位置し、奈良公園、大佛殿ほか五つの世界遺産に徒歩圏。奈良驛からバス八分(徒歩十五分)。
所在地:〒630-8342 奈良市南袋町31番地4
[はる家 ならまち]のサイトを見る

