[10月4日]奈良 天武天皇 檜隈大内陵 正辰祭
[10月4日]
奈良
天武天皇 檜隈大内陵 正辰祭
天皇、御名は大海人皇子。 天智天皇の同母弟で、 天智天皇の崩御に臨み、自ら請ふて僧と為り、宮を辭し吉野に入り給ふ。翌癸酉、飛鳥浄御原宮に御即位。在位15年御壽65、朱鳥元年9月正殿に崩御。
天武天皇の崩御後、皇太子の草壁皇子は御幼弱の為、皇后に皇位繼承を奏請申し上げましたが、遂に容れ給はず、稱制に在すこと3年、草壁皇子薨去の後、 持統天皇は浮御原宮に御即位になりました。御在位7年、 文武天皇に御譲位遊ばされた後「太上天皇」となられました。ご周知の通り「太上天皇」の號は 持統天皇に對し奉つたのが最初で、大寶2年12月22日聖壽58にて崩御。御遺勅により火葬。 天武天皇と合葬し奉りました。歷朝中 天皇の火葬も 持統天皇が最初でした。
敗戦後、日教組の影響が強かつた頃の學校教育では、「昔の日本は男尊女卑の社會で、女性は自己主張ができなかつた」と教へられてゐた為、今でもそのやうに思ひ込んでゐる人がありますが、全くの間違ひで、御自分の葬送方法を大膽にも國史初の火葬と決められ、夫との合葬の遺志を尊重されもしてゐます。佛教公傳により大きく形を變へた陵墓は、第29代 欽明天皇 檜隈坂合陵を最後に前方後圓墳が造營されなくなり、第41代 持統天皇で始まつた火葬は、 明治天皇が 天智天皇 山科陵を見本に陵墓の祭祀を復古されるまで、途中の数帝を除いて、約1,160年間、第121代 孝明天皇まで繼承されてゐます。また更に150年以上の時を経て 上皇上皇后両陛下が再び火葬のお氣持ちで遊ばされるのも、よく知られてゐるところです。
東西5町、南北4町の檜隈大内陵は、文暦2年3月20日、盗掘にあつており、「石門を切り開き、金銀珠玉を盗み取る、京中の諸人多く陵内に入り御骨を拜した」ことが『阿不幾乃山陵記』に見えます。また『山陵志』にも、斯の御陵を検分した記述があります。雄略天皇 丹比高鷲原陵、宣化天皇 身狹桃花鳥坂上陵、用明天皇 河内磯長原陵、推古天皇 磯長山田陵、舒明天皇 押坂内陵、天智天皇 山科陵と並び、被葬者がほぼ間違ひない御陵として知られてゐます。
參考資料
國立國會圖書館デジタルコレクション『阿不幾乃山陵記』









天武天皇の數々の御治績中に『古事記』の計畫があり、稗田阿禮をして修史の本となさんことを圖らせ給ひ、 元明天皇の朝に御完成になつてゐます。「大君は神にし坐せば」(萬葉集 第3巻 0235)と、天皇を「神」と呼ぶ最初でもある為、敗戰後の日本ではとかく軍國主義や國粋主義の象徴のやうに揶揄され、『古事記』も 天武天皇の正統性を誇示する為に創作された偽書とまで言ふ人がありましたが、昭和56年の太安萬侶公の御墓所の發見で霧散しました。
そもそも『古事記』編纂當時は内憂外患もいいところで、対外戦争で初めて敗れた白村江の戰ひに備へて、第37代 斉明天皇は初の重祚をして自ら九州に出向いて行宮を營まれ(朝倉橘廣宮)、そこで崩御されてゐます。その記憶もまだ新しい11年後、古代最大の内戦「壬申の亂」で敗れた大友皇子が、 弘文天皇と諡号されるのは、1,119年後の明治3年のこと。明治天皇が國難に際し『古事記』前後の歷史を見直されたのも、 天武天皇が殊に皇祖に大孝を宣べさせられ、皇女を伊勢の斎宮とし、内宮と外宮を20年毎に新造する、式年遷宮の制を定め給ふたことも、かうして見ると、足元が疎かにならないための自然なことに思へます。






圓墳で、周囲に生垣をめぐらせた檜隈大内陵は、生ひ茂る常磐木の緑も一際濃く、第33代 推古天皇以来、第43代 元明天皇の平城奠都まで約100年間、概ね皇居が營まれた飛鳥の地に鎭まります。暑きにつけ寒きにつけ祭典を執り行なつてくださる宮内庁職員方に感謝申し上げます。
■ 主要參考資料・引用文献書目
『皇陵に祈る』京都新聞社編輯局編 昭和18年 晴南社
『皇陵巡拜』安達利介 大正10年 皇陵巡拜會
『皇國の子躾の記録』中西明子 昭和17年 第一出版協會
『皇道の研究』河野省三 昭和19年 文學社
[2月28日]古事記献上祭 天武天皇 檜隈大内陵 早朝參拜







第40代 天武天皇の命により編纂された『古事記』を太安萬侶公が獻上した和銅5年(712)正月28日に因み、新暦で讀み替へた2月28日に、安萬侶公を祀る多坐彌志理都比古神社(奈良)で「古事記獻上祭」が行はれます。同日には、天武天皇 檜隈大内陵の早朝參拜、賣太神社(御祭神:稗田阿禮公)の正式參拜、本居宣長記念館(松坂)から吉田悦之名誉館長を招いての記念講演など『古事記』ゆかりの奉祝行事が開催され、どなたでもご參加頂けます。
開催概要
開催日時 | 毎年10月4日 ※週末の場合は前後の平日 午前10時00分 |
所要時間 | 30分前後 |
料金 | 無料 |
服装 | 和装 洋装(男性は背廣ネクタイ着用、女性はそれに準ずる格好) 祭典が行はれますので、神様に失禮のない服装にてお願ひ致します |
いざ、日本の傳統へ – Touch NIPPON –
ギネスブック公認の世界最古の國・日本。その建國の地・奈良と、千年の都・京都にある宿泊施設[はる家]では、築百有餘年の町家に受け繼がれた日本の傳統文化をお届けしたいと願つてをります。では、日本の傳統文化が受け繼がれた姿とは、具體的にどのやうな姿ですかと問はれれば、それは各家庭に神棚が祀られるやうになつた姿であらうと[はる家]は考へてゐます。史蹟探訪の他、神社清掃奉仕など、年間を通じて様々な祭典に奉賛する機會を通じて、日本の傳統文化に親しんで頂けましたら幸ひです。
奈良の春日大社の參道で創業した[はる家]は、三社託宣(特設サイト)ゆかりの春日大社と石清水八幡宮。大和國一之宮の大神神社、山城國一之宮の上賀茂神社と下鴨神社。石上神宮や奈良縣護國神社などで崇敬會等に奉賛してゐます。地域の氏神神社で傳統行事に參列するなど貴重な學びの機會を頂いてゐますが、[はる家]が公式サイト等で発表する内容は[はる家]が独自に責任を負ふものであり、神社関係團體とは一切関係ありません。



はる家 一覧

はる家 東山
築百有餘年の京町家、職住一體の「表屋造り」を傳へる[はる家 東山]。京都驛から地下鐡十五分、年間千二百萬人以上が訪れる京都東山に位置し、清水寺、祇園、南禅寺ほかへ徒歩圏内。朝晩は白川の小川沿ひを歩く清々しい散策をお楽しみ頂けます。
所在地:〒605-0026 京都市東山区古川町542番地4
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はる家 梅小路
築百有餘年の京町家四棟が隣り合ふ[はる家 梅小路]。京都驛から程近く清水寺、祇園、金閣寺ほかにバス一本。町家ならではの「通り庭」があり、坪庭、出格子、圓窓、縁側など傳統的な京都の佇まひを傳へます。
所在地:〒600-8834 京都市下京区和気町1番地12
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はる家 ならまち
築百二十年を超える奈良の庄屋屋敷。日本庭園、家族風呂、縁側つき客室など傳統的な日本家屋の佇まひを傳へます。歴史的な町並み「ならまち」に位置し、奈良公園、大佛殿ほか五つの世界遺産に徒歩圏。奈良驛からバス八分(徒歩十五分)。
所在地:〒630-8342 奈良市南袋町31番地4
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