[9月4日]京都 長慶天皇 嵯峨東陵 正辰祭

[9月4日]
京都

長慶天皇 嵯峨東陵 正辰祭

長慶天皇の御卽位については、古来議論の分かれるところでしたが、大正9年に八代國治文學博士の『長慶天皇の御卽位の研究』により、御在位が確認され、第98代天皇としてご歷代中に加へ奉ることになりました。

では、御陵はどこかといふ話になつたわけですが、大正9年時点では未だ明確でなく、よく知られてゐるやうに、長慶天皇の御陵と傳へられてゐる所は、北は青森から南は九州まで全國に100箇所以上もあり、「これはどう見ても、ただの、石でせう」といふものを除いても、30は下らない数が現在もあります。なかでも、奈良縣十津川村の國王神社境内の首塚が注目されてゐたのは、そこで祭祀が行なはれてゐたからで、現在でも神社の御祭神として日々神饌が奉られてゐます。

それが、京都嵐山の現在地に治定されたのは、八代國治文學博士の16年の歳月をかけた研究成果から、さらに24年後の昭和19年を待つてのことで、現在の御陵が造營されてゐます。さういつた経緯から、インターネットで検索すると、「由緒が定かではない」とか「真偽が怪しい」などと輕しく口にされてゐる記事ばかり目立ちますが、國立國會圖書館の資料を自宅で無料で閲覧できるやうになつた昨今、末尾の參考文獻をご覧いただければ、先賢がいかに愼重に誠實に取り組まれたかは一目瞭然で、名前を隠して無責任に言ひたい放題を言つてゐる口コミのやうなものが、いかに輕薄か見苦しく思はれるばかりです。

在位された吉野朝の「建武中興」は、「神武建國」「古事記編纂」「大化の改新」「承久の變」「明治維新」などと並ぶ、國史上の一大轉機であり、ひとつ間違へば今日の日本はありませんでした。また、御卽位の確定から御陵の治定に至るまでの経緯にも一大ドラマがあり、魅力に盡きせぬ長慶天皇ですが、宸翰は高野山金剛峯寺蔵「御願文」(國寶)が唯一で、他に見つかつてゐません。日本全國の神社に数多く殘されてゐる、いまだ一度も紐解かれてゐない古文書を丹念に調べ上げることで、新たな發見があるかもしれない、長慶天皇ご自身の魅力は、まだまだ御簾の向こう側なのです。

■參考文獻

長慶天皇御即位の研究 八代国治 大正9
https://dl.ndl.go.jp/pid/960761/1/2
長慶天皇皇代御加列に就ての要旨 芝葛盛 明治書院 昭和2
https://dl.ndl.go.jp/pid/1190597/1/4
宸翰英華 乾 帝國學士院 紀元二千六百年奉祝會 昭和19
https://dl.ndl.go.jp/pid/1908154/1/307
大和十津川国王神社長慶天皇御陵墓顕彰史料 岡照誠 昭和10
https://dl.ndl.go.jp/pid/1217199/1/1

長慶天皇紀略 三輪義熈 博進館
https://dl.ndl.go.jp/pid/1019673/1/1
長慶天皇御紀傳: 國史研究 笹原助 大正15
https://dl.ndl.go.jp/pid/1020565
滝のしら玉 : 長慶院御歌 谷森善臣 青山堂 明36
https://dl.ndl.go.jp/pid/873699/1/1
南朝五十七年史 笹川臨風 新潮社 明44
https://dl.ndl.go.jp/pid/772461/1/171
皇陵及歴代御事蹟 日吉明助 文港堂
https://dl.ndl.go.jp/pid/780728/1/231
建武中興と大日本史 松崎覚本 文松堂出版 昭和19
https://dl.ndl.go.jp/pid/1041742/1/112
歴朝聖徳録 : 付・補遺,列聖年表 高橋光正 同文館 明32.5
https://dl.ndl.go.jp/pid/780921/1/199

天皇歴代御陵誌 須田秋芳 温故堂 大正15
https://dl.ndl.go.jp/pid/919249/1/49
皇室と紀伊 毛利柴庵 昭和10
https://dl.ndl.go.jp/pid/1096919/1/149
七十偉人 井野辺茂雄 武田文永堂 明42.11
https://dl.ndl.go.jp/pid/777989/1/52
国史美談 現代史 巻1 北垣恭次郎 実業之日本社 昭和2
https://dl.ndl.go.jp/pid/1120088/1/140
長慶天皇山陵攷 音代節雄 大正15
https://dl.ndl.go.jp/pid/1019447/1/3
長慶天皇御陵の研究 島田泉山 昭和2
https://dl.ndl.go.jp/pid/1190605/1/1

 

開催概要

 

開催日時毎年9月4日 ※土日祝の場合は前後の平日
午前10時00分
所要時間15分前後
料金無料
服装和装 洋装(男性は背廣ネクタイ着用、女性はそれに準ずる格好)
祭典が行はれますので、神様に失禮のない服装にてお願ひ致します

 

 

いざ、日本の傳統へ – Touch NIPPON –

ギネスブック公認の世界最古の國・日本。その建國の地・奈良と、千年の都・京都にある宿泊施設[はる家]では、築百有餘年の町家に受け繼がれた日本の傳統文化をお届けしたいと願つてをります。では、日本の傳統文化が受け繼がれた姿とは、具體的にどのやうな姿ですかと問はれれば、それは各家庭に神棚が祀られるやうになつた姿であらうと[はる家]は考へてゐます。史蹟探訪の他、神社清掃奉仕など、年間を通じて様々な祭典に奉賛する機會を通じて、日本の傳統文化に親しんで頂けましたら幸ひです。

奈良の春日大社の參道で創業した[はる家]は、三社(さんしや託宣(たくせん特設サイト)ゆかりの春日大社と石清水八幡宮。大和國一之宮の大神(おほみわ神社(じんじや、山城國一之宮の上賀茂神社と下鴨神社。石上神宮や奈良縣護國神社などで崇敬會等に奉賛してゐます。地域の氏神神社で傳統行事に參列するなど貴重な學びの機會を頂いてゐますが、[はる家]が公式サイト等で発表する内容は[はる家]が独自に責任を負ふものであり、神社関係團體とは一切関係ありません。

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はる家 東山

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