[特集]京都 深草北陵 正辰祭

 

[特集]
京都

深草北陵正辰祭

 

10月7日 後奈良天皇深草北陵正辰祭に參りました。

深草北陵は、南北朝から天下統一に至るまでの300年に渡る九帝と、北朝の後光嚴、後圓融の両帝の御廟所で、世に十二帝陵と稱されます。周囲を囲んでゐる土塀の門が、正辰祭の時間のみ特別に開かれ、方二間、高さ十尺の瓦葺寶形造りの法華堂を拝することができます。

今日の歴史教科書では、 後醍醐天皇のせいで南朝が始まつたかのように教へられてゐますが、持明院統の祖は第89代 後深草天皇で、以後90代 亀山天皇(大覺寺統)、91代 後宇多天皇(大覺寺統)、92代 伏見天皇(持明院統)、93代 後伏見天皇(持明院統)、94代 後二条天皇(大覺寺統)、95代 花園天皇(持明院統)と、交互に皇位継承させるまでに北条氏の専横が増します。そこで承久の變で敗れた後鳥羽上皇以来の御遺志を繼承して第96代 後醍醐天皇が、一度は隠岐へ移され給ふ困難(元弘の亂)にも鎌倉幕府を倒し、建武中興の大業を成し遂げられました。

しかし、僅か3年で足利尊氏の叛くところとなり、延元元年(1996) 後醍醐天皇が吉野に行幸されてより、第99代 御亀山天皇が第100代 後小松天皇に神器をお譲りになるまでの凡そ60年間、吉野朝(南朝)が續きます。 後小松天皇の御代には、足利義滿が禁裡に接し新館を營んで武家政治を行ひ、金閣寺を建てて榮華を極めた末、財政窮乏の打開策として「日本國王」との、明の属民の稱號を受けるにまで堕して支那明國と交通を開いてゐます。

第103代 後土御門天皇の御代に勃発した應仁の亂は、頽勢に向かふ足利幕府を益々衰微させただけでなく、朝廷も式微を致さしめ、第103代 後土御門、第104代 後柏原、第105代 後奈良三帝の御宇は衰退の極みに達します。大儀、典禮は一つも行なはれず、後土御門天皇は崩御後40日余り葬儀も行へませんでした。後奈良天皇も践祚後、即位の大典を10年も行へず、葬儀も後柏原、後土御門両帝の時と大差なく、頗る盛儀を缺いたことはご周知の通りです。

 

それが第106代 正親町天皇の御代になつて、やうやく約120年途絶えてゐた伊勢神宮の式年遷宮を復活させるなど、朝儀復興に盡力したのが織田信長公で、第107代 御陽成天皇の御代に豊臣秀吉公が遺志を繼いで天下統一を完成させます。皇威の發揚に至誠を捧げ、聚楽第へ行幸の聖駕を拝してゐますが、これも秀吉のもとに天皇が參つたと描かれることがあるのは大きな間違ひで、もし信長公や秀吉公が天皇を蔑ろにしたならば、明治になつて、織田信長公を祀る建勲神社や、豊臣秀吉公を祀る豊國神社が、明治天皇の勅命で創建されるはずがありません。

このやうな間にあつても皇室は嚴として存在し、有名な醍醐の三寶院に残る後奈良天皇宸翰の般若心経の奥書には「今茲天下大疾萬民多阽於死亡 朕爲民父母德不能覆 甚自痛焉」とあり、皇室の御式微の最も甚しかつた此の時にあつても天皇の自覺を失はれず、尚國民の福利の為に、諸國の一之宮に宸翰の心経を納められてゐます。今でも三河、甲斐、伊豆、周防、肥後等に現存してゐます。在位31年。御歳63。 後奈良天皇がお鎭まりになる深草十二帝陵は、南北朝から天下統一に至る300年に渡る大きな時代のうねりを今に傳へます。

■ 主要參考資料

魚澄惣五郎『綜合日本史大系. 第6巻 (南北朝)』昭和2 内外書籍
久米邦武『南北朝時代史』明治38 早稲田大学出版部
田中義成『南北朝時代史』大正11 明治書院
守屋貫秀 等『少年国史辞典』大正14 大同館書店
帝国大学編年史編纂掛『稿本国史眼』大正9 11刷 目黒書店
黒板勝美『國史の研究』明41 文會堂
京都新聞社編輯局『皇陵に祈る』昭和18 晴南社
山口鋭之助『山陵の研究』大正12 明治聖徳記念学會
安達利介『皇陵巡拝』大正10 皇陵巡拝會

宮内庁公式サイト:天皇系図

 

開催概要

 

開催時間午前10時00分
所要時間30分前後
料金無料
服装和装 洋装(男性は背廣ネクタイ着用、女性はそれに準ずる格好)
祭典が行はれますので、失禮のない服装にてお願ひ致します
正辰祭 祭日後深草天皇8月25日 伏見天皇10月16日 後伏見天皇5月25日 後光嚴天皇3月20日 後圓融天皇6月14日 後小松天皇12月10日 稱光天皇9月8日 後土御門天皇10月31日 後柏原天皇5月28日 後奈良天皇10月7日 正親町天皇2月6日 後陽成天皇9月25日 ※週末等の場合は前の平日

 

 

いざ、日本の傳統へ – Touch NIPPON –

ギネスブック公認の世界最古の國・日本。その建國の地・奈良と、千年の都・京都にある宿泊施設[はる家]では、築百有餘年の町家に受け繼がれた日本の傳統文化をお届けしたいと願つてをります。では、日本の傳統文化が受け繼がれた姿とは、具體的にどのやうな姿ですかと問はれれば、それは各家庭に神棚が祀られるやうになつた姿であらうと[はる家]は考へてゐます。史蹟探訪の他、神社清掃奉仕など、年間を通じて様々な祭典に奉賛する機會を通じて、日本の傳統文化に親しんで頂けましたら幸ひです。

奈良の春日大社の參道で創業した[はる家]は、三社(さんしや託宣(たくせん特設サイト)ゆかりの春日大社と石清水八幡宮。大和國一之宮の大神(おほみわ神社(じんじや、山城國一之宮の上賀茂神社と下鴨神社。石上神宮や奈良縣護國神社などで崇敬會等に奉賛してゐます。地域の氏神神社で傳統行事に參列するなど貴重な學びの機會を頂いてゐますが、[はる家]が公式サイト等で発表する内容は[はる家]が独自に責任を負ふものであり、神社関係團體とは一切関係ありません。

 

 

はる家一覧

ギネスブック公認の世界最古の國、日本。
その建國の地・奈良と、千年の都・京都に佇む、趣きの異なる築百有餘年の町家。

はる家 東山


はる家 東山

築百有餘年(ちくひやくいうよねんの京町家、職住一體(しよくぢゆういつたいの「表屋(おもてや造り」を(つたへる[はる家 東山]。京都驛(きやうとえきから地下鐡十五分(ちかてつじふごふん、年間千二百萬人(せんにひやくまんにん以上が訪れる京都東山に位置し、清水寺、祇園、南禅寺ほかへ徒歩圏内。朝晩は白川の小川沿ひを歩く清々しい散策をお楽しみ頂けます。
所在地:〒605-0026 京都市東山区古川町542番地4
[はる家 東山]のサイトを見る


はる家 梅小路

築百有餘年(ちくひやくいうよねんの京町家四棟が隣り合ふ[はる家 梅小路]。京都驛(きやうとえきから程近く清水寺、祇園、金閣寺ほかにバス一本。町家ならではの「通り庭」があり、坪庭、出格子、圓窓(ゑんまど、縁側など傳統的(でんとうてきな京都の佇まひを(つたへます。
所在地:〒600-8834 京都市下京区和気町1番地12
[はる家 梅小路]のサイトを見る


はる家 ならまち

築百二十年を超える奈良の庄屋屋敷。日本庭園、家族風呂、縁側つき客室など傳統的(でんとうてきな日本家屋の佇まひを(つたへます。歴史的な町並み「ならまち」に位置し、奈良公園、大佛殿(だいぶつでんほか五つの世界遺産に徒歩圏。奈良(えきからバス八分(徒歩十五分)。
所在地:〒630-8342 奈良市南袋町31番地4
[はる家 ならまち]のサイトを見る