[7月6日]奈良 多坐弥志理都比古神社(多神社) 太安萬侶祭

[7月6日]
多坐弥志理都比古神社
太安萬侶祭
7月6日、奈良の多坐弥志理都比古神社(多神社)にて太安萬侶祭が斎行されてゐます。7月6日といふ祭典の日付は、昭和54年に發見され大ニュースとなつた太安萬侶墓誌(國重要文化財)銘文に拠ります。
左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳
昭和54年といへば、つい最近ですが、1,000年以上前の人物の墓所が見つかるといふ奇跡のやうな出来事は、それまで「太安萬侶は實在が定かでない」とか「『古事記』も偽書ではないか」とまで言ふ人があつたのを霧散させました。
墓誌が木製であれば腐つてゐたところ銅板製であつたこと。上向ではなく下向きに置かれてゐたため錆びなかつたこと。茶畑を耕してゐた人に偶然發見されたことなど、どれか一つでも無ければ起こつてゐない幾つもの奇跡が重なりあつて大發見に繋がつてゐますが、最大の奇跡は、それまで日本といふ國が存續してゐたことかもしれません。
普通、國といへば、100年200年で滅ぶ國がざらにあるところ、日本は令和5年現在、紀元2,683年も續いてゐます。かういふとまた、それは事實ではないとか何とか腐す人がありますが、日本人が勝手に言つてゐるのではなく、ギネスブックで世界最古の國として公認してくれてゐるのですから、當の日本人はもつと自信と誇りを持つてよいはずです。




祭典に合はせて、太安萬侶公御墓所や、もう一人の『古事記』編纂者・稗田阿禮公を祀る賣太神社、天武天皇 檜隈大内陵、元明天皇 奈保山東陵を巡拝するなどもおすすめです。詳しくは下記の関聯記事をご覧ください。
祭典を斎行してくださる、太安萬侶公51代目に當る多忠記宮司はじめ、責任役員、氏子総代方に感謝申し上げます。
■関聯記事
開催概要
開催日時 | 毎年7月6日 午前11時00分 |
所要時間 | 30分前後 |
料金 | 玉串料 志納(2,000圓〜3,000圓程度) ※撤下品あり |
服装 | 和装 洋装(男性は背廣ネクタイ着用、女性はそれに準ずる格好) 祭典が行はれますので、神様に失禮のない服装にてお願ひ致します |
■ 主要參考資料・引用文献書目 リンク先:國立國會圖書館デジタルコレクション
倉野憲司『古事記傳』昭和19年 岩波書店 *敗戦後、占領軍に焚書された一冊
いざ、日本の傳統へ – Touch NIPPON –
ギネスブック公認の世界最古の國・日本。その建國の地・奈良と、千年の都・京都にある宿泊施設[はる家]では、築百有餘年の町家に受け繼がれた日本の傳統文化をお届けしたいと願つてをります。では、日本の傳統文化が受け繼がれた姿とは、具體的にどのやうな姿ですかと問はれれば、それは各家庭に神棚が祀られるやうになつた姿であらうと[はる家]は考へてゐます。史蹟探訪の他、神社清掃奉仕など、年間を通じて様々な祭典に奉賛する機會を通じて、日本の傳統文化に親しんで頂けましたら幸ひです。
奈良の春日大社の參道で創業した[はる家]は、三社託宣(特設サイト)ゆかりの春日大社と石清水八幡宮。大和國一之宮の大神神社、山城國一之宮の上賀茂神社と下鴨神社。石上神宮や奈良縣護國神社などで崇敬會等に奉賛してゐます。地域の氏神神社で傳統行事に參列するなど貴重な學びの機會を頂いてゐますが、[はる家]が公式サイト等で発表する内容は[はる家]が独自に責任を負ふものであり、神社関係團體とは一切関係ありません。




はる家 東山
築百有餘年の京町家、職住一體の「表屋造り」を傳へる[はる家 東山]。京都驛から地下鐡十五分、年間千二百萬人以上が訪れる京都東山に位置し、清水寺、祇園、南禅寺ほかへ徒歩圏内。朝晩は白川の小川沿ひを歩く清々しい散策をお楽しみ頂けます。
所在地:〒605-0026 京都市東山区古川町542番地4
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はる家 梅小路
築百有餘年の京町家四棟が隣り合ふ[はる家 梅小路]。京都驛から程近く清水寺、祇園、金閣寺ほかにバス一本。町家ならではの「通り庭」があり、坪庭、出格子、圓窓、縁側など傳統的な京都の佇まひを傳へます。
所在地:〒600-8834 京都市下京区和気町1番地12
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はる家 ならまち
築百二十年を超える奈良の庄屋屋敷。日本庭園、家族風呂、縁側つき客室など傳統的な日本家屋の佇まひを傳へます。歴史的な町並み「ならまち」に位置し、奈良公園、大佛殿ほか五つの世界遺産に徒歩圏。奈良驛からバス八分(徒歩十五分)。
所在地:〒630-8342 奈良市南袋町31番地4
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