[通年]奈良 飛鳥宮跡(傳 飛鳥板蓋宮跡)

 

[通年]
奈良

飛鳥宮跡

(傳 飛鳥板蓋宮跡)

 

奈良県観光[公式サイト](外部リンク)に次のやうにあります。

「中大兄皇子(天智天皇)らによって蘇我入鹿が暗殺された」

なにやら悪いことが起こつたかのやうな書きぶりですが、あの時もし蘇我氏の専横を放つておいたら、今の日本はどうなつてゐるでせう。

「暗殺」といふ言葉は、崇峻天皇を弑して悪びれなかつた蘇我馬子にこそ相應しく、蝦夷は自分の墓を「大陵」住まひを「上の宮門(みかど)」、入鹿の墓を「小陵」住まひを「谷の宮門」と言はせ、皇位繼承権のある聖徳太子の御子・山背大兄王を一族もろとも亡し、「日位を傾けむとす(天皇になりかはろうとした)」と『日本書紀』は傳へます。ここに中臣鎌足といふ人がゐて、中大兄皇子とご相談を申し、入鹿を「伏誅」なさつた。敗戦までは教科書に載つてゐて小學生から誰でも知つてゐたのが、この場所で起こつた「乙巳の變」でした。

▼「入鹿伏誅の圖」はこちらから▼
[10月第2日曜日]奈良 談山神社 嘉吉祭

天皇に伏誅された臣下は入鹿以前にも何人もあり珍しくありませんが、臣下に暗殺された天皇は崇峻天皇が初めてで、以後、初の女性天皇(推古天皇)、122年ぶりの遣隋使、「天皇」の初出(隋への親書に「東天皇敬白西皇帝」)、初の譲位(皇極天皇から孝徳天皇)、國號「日本」・年號「大化」の始まり、対外戦争での初の敗北「白村江の戦い」、古代最大の内戦「壬申の亂」など、僅か100年ほどの間に目まぐるしい社會情勢の變遷があり、國家の正式な公文書として『古事記』編纂を天武天皇が勅命されたのもこの場所でした。

[2月28日]古事記編纂奉祝「古事記獻上祭」

今日の私たちに至るまで、その恩恵を受けない者はない「乙巳の變」の舞台である板蓋宮跡は、昭和34年からの発掘調査により、飛鳥岡本宮(舒明天皇)、飛鳥板蓋宮(皇極天皇)、後飛鳥岡本宮(斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)と、5代に渡る宮(首都)が營まれてゐたことが判明し、平成28年に名稱を「飛鳥宮跡」と改められました。日本で初めて成文律を制定し、歷史を編纂し、歴代遷都の風を止めて固定した都を定めていく、大化改新から平安遷都に至るまで日本社會が面目を一新していく礎になつた場所です。

僅か数100m先の庭園遺跡(飛鳥京跡苑池遺構)からは平成11年に噴水が見つかつてゐます。近江神宮の「漏刻祭」で有名な水落遺跡の日本最初の時計・漏刻(水位の変化によって時刻を測つた時計)も歩いて15分程の距離にあり、一般に思はれてゐるよりずつと文化的で豐かな當時の様子を伺ひ知ることができます。『日本書紀』欽明天皇13年の佛教公傳から僅か50年程で、現存する世界最古の木造建築・法隆寺を建築するに至つた推古天皇豐浦宮跡も目と鼻の先にあります。[2月28日]古事記編纂奉祝「古事記獻上祭」では、天武・持統天皇 檜隅大内御陵まで參拜しますが、實物大の復元發掘物に實際に触れることもできる飛鳥資料館(公式サイト)も合はせて、ぜひ1日かけて各所をお訪ねください。

飛鳥宮跡 から 飛鳥京跡苑池遺構、水落遺跡を経て、推古天皇豐浦宮跡、飛鳥資料館まで
https://goo.gl/maps/dUGv6dkeY15j9jgc8

[10月4日]天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵 正辰祭

飛鳥資料館(公式サイト)

 

今日の私たちが實際に立って目の當りにできるのも、ギネスブック公認の世界最古の國・日本が今日まで存續してゐる奇跡のお陰様ですが、明治維新の大政奉還も、明治初年に忽然と發議されたものではなく、斷行し得る素地を作つたのが、ここ飛鳥板蓋宮であり浄御原宮でありました。神武建國から大東亜戦争の英靈に至るまで、國防と繁榮に盡くされた全ての先達への感謝と尊崇の念を胸に、これからも多くの日本人が當地を訪れ、感動を分かち合つて頂けることを願つて止みません。

■ 主要參考資料

大松庄太郎『尋四迄の新國史教育』昭12 東洋圖書
守屋貫秀 等『少年国史辞典』大正14 大同館書店
帝国大学編年史編纂掛『稿本国史眼』大正9 11刷 目黒書店
黒板勝美『國史の研究』明41 文會堂
『伴信友全集 第3』「中外経緯伝」明治40 國書刊行會刊行書

宮内庁公式サイト:天皇系図

 

基本情報

 

史跡名穪飛鳥宮跡
所在地〒634-0111 高市郡明日香村岡
お問ひ合はせ先0744-54-3240 (一般社団法人 飛鳥観光協会)
URLhttp://www.asukanavi.jp/point.php?pid=21
https://asukamura.com/sightseeing/517/

 

 

いざ、日本の傳統へ – Touch NIPPON –

ギネスブック公認の世界最古の國・日本。その建國の地・奈良と、千年の都・京都にある宿泊施設[はる家]では、築百有餘年の町家に受け繼がれた日本の傳統文化をお届けしたいと願つてをります。では、日本の傳統文化が受け繼がれた姿とは、具體的にどのやうな姿ですかと問はれれば、それは各家庭に神棚が祀られるやうになつた姿であらうと[はる家]は考へてゐます。史蹟探訪の他、神社清掃奉仕など、年間を通じて様々な祭典に奉賛する機會を通じて、日本の傳統文化に親しんで頂けましたら幸ひです。

奈良の春日大社の參道で創業した[はる家]は、三社(さんしや託宣(たくせん特設サイト)ゆかりの春日大社と石清水八幡宮。大和國一之宮の大神(おほみわ神社(じんじや、山城國一之宮の上賀茂神社と下鴨神社。石上神宮や奈良縣護國神社などで崇敬會等に奉賛してゐます。地域の氏神神社で傳統行事に參列するなど貴重な學びの機會を頂いてゐますが、[はる家]が公式サイト等で発表する内容は[はる家]が独自に責任を負ふものであり、神社関係團體とは一切関係ありません。

 

 

はる家一覧

ギネスブック公認の世界最古の國、日本。
その建國の地・奈良と、千年の都・京都に佇む、趣きの異なる築百有餘年の町家。

はる家 東山


はる家 東山

築百有餘年(ちくひやくいうよねんの京町家、職住一體(しよくぢゆういつたいの「表屋(おもてや造り」を(つたへる[はる家 東山]。京都驛(きやうとえきから地下鐡十五分(ちかてつじふごふん、年間千二百萬人(せんにひやくまんにん以上が訪れる京都東山に位置し、清水寺、祇園、南禅寺ほかへ徒歩圏内。朝晩は白川の小川沿ひを歩く清々しい散策をお楽しみ頂けます。
所在地:〒605-0026 京都市東山区古川町542番地4
[はる家 東山]のサイトを見る


はる家 梅小路

築百有餘年(ちくひやくいうよねんの京町家四棟が隣り合ふ[はる家 梅小路]。京都驛(きやうとえきから程近く清水寺、祇園、金閣寺ほかにバス一本。町家ならではの「通り庭」があり、坪庭、出格子、圓窓(ゑんまど、縁側など傳統的(でんとうてきな京都の佇まひを(つたへます。
所在地:〒600-8834 京都市下京区和気町1番地12
[はる家 梅小路]のサイトを見る


はる家 ならまち

築百二十年を超える奈良の庄屋屋敷。日本庭園、家族風呂、縁側つき客室など傳統的(でんとうてきな日本家屋の佇まひを(つたへます。歴史的な町並み「ならまち」に位置し、奈良公園、大佛殿(だいぶつでんほか五つの世界遺産に徒歩圏。奈良(えきからバス八分(徒歩十五分)。
所在地:〒630-8342 奈良市南袋町31番地4
[はる家 ならまち]のサイトを見る